概要・由来
犀川上流から金沢城内へ辰巳用水を建設した板屋兵四郎命の徳を偲び、その用水の恩恵を受ける人たちによって、昭和35年4月に御祭神ゆかりの地に創建された。
板屋兵四郎命は、犀川の上流から金沢城内へと水を引く大事業、辰巳用水の建設を成し遂げた人物です。
この用水は、金沢城だけでなく、城下の人々の生活や農業にも大きな恵みをもたらしました。
この功績を称え、辰巳用水の恩恵を受けている人々によって、昭和35年(1960年)4月、兵四郎命ゆかりの地に板屋神社が創建されました。
鎮座地
金沢市上辰巳町13-70
電話
076-233-3688 (安江八幡宮)
拝観料金
無料
御祭神
板屋兵四郎
行事
ー
見どころ
この神社は、辰巳用水を建設した板屋兵四郎を祀る、歴史と自然に囲まれた場所にあります。
参拝は容易ではありませんが、その分、訪れた時の感動は格別です。
板屋神社の見どころ
- 辰巳用水と板屋兵四郎の偉業を伝える場所: 板屋神社は、江戸時代に金沢の発展に大きく貢献した辰巳用水の建設者、板屋兵四郎を祀っています。
現役で稼働する辰巳用水は、全国でも有数の史跡であり、当時の技術の粋を集めた画期的なものでした。
特に、逆サイフォンの原理を用いた取水方法は、当時の技術水準を考えると驚くべきものです。
この神社は、その偉業を今に伝える貴重な場所と言えるでしょう。 - 当時の石管の保存: 境内には、辰巳用水で使用されていた石管が保存されています。
これは、江戸時代の土木技術を今に伝える貴重な遺産であり、当時の人々の知恵と努力を垣間見ることができます。石川県立博物館には、より大きな石管の復元模型も展示されています。 - 静かで趣のある社殿: 社殿は、一見すると農家の納屋のような質素な外観です。
白漆喰の壁、連子窓、観音開きの桟唐戸など、シンプルな造りの中に歴史を感じさせる趣があります。
狛犬などはなく、静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。
周囲はトタン板で覆われており、これは雪除けや獣害対策と考えられます。 - 険しい山道の参道: 神社へは、県道脇の木製鳥居から始まる山道を通って向かいます。
この参道は、距離と高低差があり、まるで山登りのようです。足元に注意し、十分な準備をしてから訪れることをお勧めします。
特に、クマやイノシシの出没情報もあるため、注意が必要です。 - 登り切った時の達成感: 険しい参道を登り切った時の達成感は格別です。
静かな山の中にひっそりと佇む神社にたどり着いた時の喜びは、苦労して登った分だけ大きくなります。 - マニアックな入口と穴場感: 参道の入口は「え?今からこの先行くの?」と思うほどマニアックで、地元の人でもほとんど知らないような穴場的な存在です。
人混みを避けて静かに歴史を感じたい方にはおすすめです。
参拝の注意点
- 服装と準備: 山道を通るため、歩きやすい服装と靴で訪れることをお勧めします。
- 野生動物への注意: クマやイノシシの出没情報があるため、鈴などの音の出るものを携帯し、周囲に注意しながら参拝してください。
- アクセス: 車で訪れる場合は、道路沿いにある雑貨店そばのスペースに駐車し、そこから山道に入ります。
板屋神社は、歴史、自然、そして達成感を味わえる、特別な場所です。
体力に自信のある方、歴史に興味のある方、静かな場所で心を落ち着かせたい方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
板屋兵四郎について
板屋兵四郎(いたや ひょうしろう)は、江戸時代前期の加賀藩(現在の石川県)で活躍した土木技術者です。
特に、金沢の発展に大きく貢献した辰巳用水(たつみようすい)の建設を指揮したことで知られています。
生涯と業績
出自と初期の活動:
板屋兵四郎の出自については諸説あり、小松の町人出身とも、大阪から小松に移り住んだ町人とも言われています。
元々は和算(日本の数学)、測量、算術に長けた人物で、能登(現在の石川県北部)で塩田関係の小代官を務めていた時期もあったようです。
その間、寛永7年(1630年)には輪島近くの尾山用水、春日用水の開削にも携わっており、能登の名所「白米の千枚田」の灌漑も板屋兵四郎の手によるものと伝えられています。
辰巳用水の建設:
寛永9年(1632年)、加賀藩三代藩主の前田利常(まえだ としつね)は、前年の金沢大火を契機に、金沢城と城下の防火・生活用水の確保を目的とした用水路の建設に着手しました。この大事業の責任者に抜擢されたのが板屋兵四郎です。
辰巳用水は、犀川の上流から約8kmの距離を経て金沢城内へと水を引くもので、当時の土木技術の粋を集めた難工事でした。兵四郎は、その卓越した測量技術とリーダーシップを発揮し、この難工事を見事に完成させました。
辰巳用水は、金沢城の防火用水としてだけでなく、城下の人々の生活用水や農業用水としても活用され、金沢の発展に大きく貢献しました。兼六園の造営にもこの水が利用されています。
その他の活動:
辰巳用水の完成後、兵四郎は士分に取り立てられ、その後も越中富山(現在の富山県)の用水路開削にも従事したとされています。
没年:
没年は1653年とされています。
人物像
優れた技術者:
板屋兵四郎は、和算、測量、算術に秀でただけでなく、土木技術にも優れた才能を発揮した人物でした。
辰巳用水の建設は、彼の技術力の高さを証明する代表的な業績と言えるでしょう。
地域への貢献:
辰巳用水の建設を通じて、金沢の発展に大きく貢献しました。
その功績は、現在でも金沢の人々に語り継がれています。
神としての信仰
板屋兵四郎は、その功績から死後、神として祀られるようになりました。
板屋神社:
金沢市内には、板屋兵四郎を祀る板屋神社(上辰巳町と袋板屋町にそれぞれ鎮座)があります。特に上辰巳町の板屋神社は本社とされ、兵四郎が主祭神として祀られています。
金沢神社:
兼六園にある金沢神社の境内には、板屋兵四郎の遥拝所があり、ご神像が奉納されています。
土木・建設関係者からの信仰:
現在でも、石川県内の土木・治水・水道工事関係者は、工事の安全や成功を祈願するために板屋神社に参拝するそうです。
まとめ
板屋兵四郎は、江戸時代前期に金沢で活躍した土木技術者であり、辰巳用水の建設という偉業を成し遂げた人物です。
その功績は、金沢の発展に大きく貢献し、現在でも多くの人々に敬われています。
単なる歴史上の人物としてだけでなく、神として祀られていることからも、彼が地域の人々にとってどれほど重要な存在であったかが分かります。
神徳(御利益)
板屋兵四郎命(いたやひょうしろうのみこと)は、神話に登場する神様ではなく、実在した人物です。
そのため、一般的な神様のような神徳という形で語られることは少ないですが、その功績から人々から神として祀られるようになり、独特の信仰を集めています。
兵四郎の主な功績は、金沢の発展に大きく貢献した辰巳用水(たつみようすい)の建設。
この功績に基づき、兵四郎は以下のような「神徳」とも言えるものを人々に与えていると考えられています。
治水・利水のご利益:
辰巳用水は、犀川(さいがわ)から金沢城内へと水を引くための用水路であり、城内の防火用水としてだけでなく、城下の人々の生活用水や農業用水としても重要な役割を果たしました。
このことから、兵四郎は水に関する災いを防ぎ、水を有効活用する力、すなわち治水・利水のご利益をもたらす神として信仰されています。
土木・建設の守護:
辰巳用水の建設は、当時の土木技術の粋を集めた大事業でした。
兵四郎は、その卓越した技術とリーダーシップによってこの難工事を成功に導きました。
そのため、土木・建設・建築関係者からは、工事の安全、成功、技術向上を祈願する神として崇敬されています。
現在でも、石川県内の土木・治水・水道工事関係者にとって、兵四郎は特別な存在として敬われています。
地域繁栄の象徴:
辰巳用水は、金沢の発展に大きく貢献しました。
そのため、兵四郎は地域の繁栄をもたらす神、地域を守護する神としても信仰されています。
恩恵への感謝:
辰巳用水の恩恵を受けた人々が、その恩に報いるために兵四郎を祀ったという経緯から、恩恵への感謝、報恩の象徴としても捉えられています。
つまり、板屋兵四郎は、単なる歴史上の人物ではなく、人々の生活を支え、地域社会の発展に貢献した偉人として、神格化された存在と言えるでしょう。
その「神徳」は、水、土木、地域繁栄といった、人々の生活に密接に関わる分野で発揮されると考えられています。
また、金澤神社には板屋神社の遥拝所があり、兵四郎のご神像が奉納されています。
これは、兵四郎が広く金沢の人々に崇敬されている証と言えるでしょう。
板屋神社に参拝する際には、辰巳用水がもたらした恩恵、そして兵四郎の偉業に感謝の気持ちを捧げることが大切です。
特に、土木・建設関係者、水に関わる仕事をしている方、地域社会の発展に関心のある方は、兵四郎の「神徳」を強く感じられるかもしれません。
駐車場・アクセス
・駐車場はありません
・上辰巳バス停から徒歩3分
・中辰巳バス停から徒歩11分
授与品・御朱印
安江八幡宮にお問合せ
ウェブサイト
石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0010/
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