【ヒミコ/卑弥呼】歴史の闇に消えた「日巫女」の伝説。出世開運とインスピレーションの守護者

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1. 【御利益】

  • 出世開運・立身出世(組織を束ねるリーダーとしての資質を高める)
  • 直感力・インスピレーションの向上(鬼道を用いた霊的な感性を磨く)
  • 諸願成就・厄除け(呪術的な力による災難払い)
  • 統率力・カリスマ性の獲得(多くの国々をまとめ上げた実績にあやかる)

2. 【概要と由来】

古代日本の謎に包まれた、邪馬台国の女王。

ヒミコ(卑弥呼)は、3世紀頃の中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された、古代日本(倭国)の女王です。

長らく続いた「倭国大乱」という戦乱の世を、「鬼道(きどう)」と呼ばれる呪術的な力と、類まれなカリスマ性で統治し、国に平和をもたらしたと伝えられています。

弟が言葉を伝える役割を担い、姿を人前に見せることは稀だったといいます。

神として祀られるようになった経緯は定かではありませんが、その神秘的な生涯と強力な統率力から、現在では出世やリーダーシップを司る存在として崇敬されています。


3. 【詳細解説】

別名・別称

  • 日巫女(ひみこ):太陽に仕える巫女という意味でこう呼ばれたとする説が有力です。
  • 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと):神功皇后と同一視される場合の呼称。
  • 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと):奈良県・箸墓古墳の被葬者として同一視される皇女。

特徴・シンボル

  • :魏の皇帝から贈られた「銅鏡百枚」は、彼女の権威の象徴とされます。
  • 太陽:名前の響きや、天照大神(アマテラス)のモデルではないかという説から、太陽と結び付けられます。
  • 巫女の装束:神意を聴くシャーマンとしての姿で描かれます。

神話・エピソード

歴史書が語る「女王の神秘」
卑弥呼は日本の歴史書である『古事記』や『日本書紀』にはその名が登場しません。
彼女の存在を伝えるのは、海を隔てた中国の『魏志倭人伝』です。
それによると、彼女は夫を持たず、千人の侍女にかしずかれ、宮殿の奥深くで暮らしていました。
ただ一人、食事を運ぶ男の弟だけが彼女の部屋に出入りし、彼女が受け取った神の言葉(託宣)を人々に伝えていたといいます。

消えた女王と日食の謎
彼女が亡くなったとされる西暦248年頃、日本列島で皆既日食が起きたという天文学的な計算結果があります。
太陽が隠れる現象と、「日の巫女」である彼女の死が重なることから、「天岩戸隠れ」の神話は卑弥呼の死(あるいは日食による権威の失墜)を神話化したものではないか、すなわち「卑弥呼=天照大神」ではないかという壮大な説も囁かれています。

また、死後に作られた巨大な墓(径百歩)は、奈良県の箸墓(はしはか)古墳が有力視されており、今なお多くの歴史ファンを惹きつけてやみません。


4. 【金沢での関連寺社・スポット】

残念ながら、現在のところ金沢市内において「卑弥呼」そのものを主祭神として祀る神社は確認されていません。
しかし、卑弥呼と同一人物ではないかという説がある「神功皇后(じんぐうこうごう)」を祀る由緒ある神社が、金沢駅の近くに鎮座しています。

安江八幡宮(金沢水天宮)

金沢五社の一つに数えられる名社です。
主祭神の一柱として、卑弥呼と同一視されることもある女傑・神功皇后(気長足姫尊)をお祀りしています。

神功皇后もまた、神の言葉を聞き、国を導いた強力なリーダーシップを持つ女性であり、その御神徳は卑弥呼に通じるものがあります。
また、ここは金沢の郷土玩具「加賀八幡起上がり」発祥の地としても有名で、七転び八起きの縁起の良さは、乱世を生き抜いた女王の強さを想起させます。

安江八幡宮・金沢水天宮(やすえはちまんぐう・かなざわすいてんぐう)

全国の関連寺社


【編集後記】
卑弥呼さま、歴史の授業で習ったときは「謎の人」という印象でしたが、こうして改めて見ると、混沌とした時代を「直感」と「言葉」でまとめ上げた、とてつもないキャリアウーマンだったのかもしれませんね。

金沢には直接のお社はありませんが、安江八幡宮で神功皇后さまに手を合わせるとき、ふと古代の女王の姿を重ねてみるのも、歴史ロマンあふれる参拝になりそうです。

自分のアイデアを信じて突き進みたいとき、きっと背中を押してくれるはずですよ。

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