実成寺(じつじょうじ)

広告が掲載してある場合があります

【歴史・概要】
実成寺は金沢の寺町寺院群にある法華宗のお寺です。
由来書によれば、加賀藩十代藩主前田重教の生母・実成院から国家安泰の祈祷を命ぜられたとあります。実成院が没すると、実成寺において葬礼が行われ、霊屋が設けられました。実成院の法号は、実成寺の号を採ったものと思われます。

【住所】
石川県金沢市寺町4-2-2

【電話】
076-241-4618

【拝観料金】
境内可 (無料)・建物内 (要予約)

【拝観時間】
不明

【宗派/山号・寺号】
法華宗陣門流/永正山/実成寺

【本尊・寺宝】
本尊は三宝尊
寺宝として前田重教生母・実成院の位牌や遺髪など。

【御朱印】
あり

【行事】

【見どころ】
堂々とした木彫りの目立つ山門や、唐破風が配された本堂の入口などが見どころ。

【駐車場・アクセス】
駐車場あり
北陸鉄道路線バス「寺町三丁目」バス停から徒歩約1分。

【ウェブサイト】

【前田重教について】

*前田重教とは
– 加賀藩の第9代藩主で、加賀前田家10代目。
– 第5代藩主・前田吉徳の七男で、母は側室の流瀬(辻氏・実成院)。
– 吉徳の息子で藩主についた5人(宗辰、重煕、重靖、重教、治脩)のうち4番目の藩主。

*生涯
– 1741年に金沢で生まれる。
– 当初、加賀藩年寄村井長堅の養子になる予定だったが、1753年に藩主となった異母兄・重靖の命により、村井との養子の約束を解消して前田家に留まる。
– 同年10月に藩主となった重靖が急死したため、14歳で家督を相続。しかし麻疹にかかって江戸へ向かえず、幕府からの許可を得るのに遅れが生じた。
– 1754年に江戸へ出て将軍徳川家重に御目見した。同年4月に正四位下左近衛少将加賀守に叙任される。また将軍家重から偏諱を授かって重基と改名。
– 1755年に左近衛権中将に昇進。1765年に将軍世子家基の諱を憚って重教と改名。
– 藩政では加賀騒動の余波や財政難などに苦しんだ。1759年には金沢城を含む大火が起こり、幕府から金5万両を借りて復興した。
– 1771年に家督を異母弟の治脩に譲って隠居したが、1784年に財政再建のため再び藩政の指揮をとった。
– 1786年に46歳で死去。

*趣味・特徴
– 加賀狂言や能狂言などを愛好し、普及に努めた。
– 囲碁や将棋も好きで、隠居後は家臣たちと毎日対局を行っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です