概要・由来
当社社名は八幡神社と称するが、八幡大神は奉斎されず、明細帳によれば大山咋神一柱を祀り、口碑伝説にも八幡大神のことなし。創立年代不詳。明治5年11月村社となる。
なぜ「八幡神社」と名付けられたの?
金沢市娚杉町にある八幡神社は、その名前から応神天皇を祀っているように思われますが、実は大山咋神(おおやまくいのかみ)という別の神様をお祀りしている神社です。
では、なぜ「八幡神社」という名前がつけられたのでしょうか?
記録に残っていない
この神社の創立年代は詳しくわかっていませんが、明治5年に村社になったという記録が残っています。
口碑伝説
地域に伝わる昔話(口碑伝説)には、八幡大神に関する話は出てこないそうです。
明細帳の記録
神社の財産などを記録した明細帳には、大山咋神だけが祀られていると記されています。
これらのことから、この神社は、いつ頃からか「八幡神社」と呼ばれるようになったものの、もともと八幡大神を祀っていたわけではないと考えられます。
大山咋神とは?
大山咋神は、古事記や日本書紀に登場する神様で、国土開発や農業の神様として知られています。土地を開拓し、人々に暮らしを教えたと伝えられています。
なぜ「八幡神社」という名前が定着したのか?
「八幡神社」という名前が定着した理由は、いくつかの可能性が考えられます。
他の神社との関係
かつて、この神社と別の八幡神社との間に何らかの関係があったのかもしれません。
地域の信仰
地域の人々が、八幡大神を信仰していた時期があったのかもしれません。
単なる慣習
長い年月をかけて、いつの間にか「八幡神社」と呼ばれるようになったのかもしれません。
金沢市娚杉町の八幡神社は、大山咋神を祀る神社であり、その名前の由来は明確ではありません。歴史的な経緯や地域の信仰など、様々な要因が重なって「八幡神社」と呼ばれるようになったと考えられます。
鎮座地
金沢市娚杉町イ117
電話
076-261-9007 (藤棚白山神社)
拝観料金
無料
御祭神
大山咋神
仲哀天皇
行事
ー
見どころ
八幡神社へお参りする際は、娚杉町会の私道を少し歩く必要があります。
静かな環境の中に佇む神社なので、訪れる際は町の方々に一声かけてから伺うと良いでしょう。
舗装道路から少し奥まった場所にあるため、初めて訪れる方は道案内をお願いするとスムーズです。
神徳(御利益)
一般的に、大山咋神と仲哀天皇には以下のような御神徳があるとされています。
大山咋神
国土開発、産業振興の神
国土を開拓し、人々に暮らしを教えた神様として、産業の発展や地域の繁栄を司ると考えられています。
農業の神
農業の守護神として、五穀豊穣や土地の神様としても信仰されています。
力強い守護神
力強く、困難を乗り越える力を与えてくれる神様として、人々から慕われています。
仲哀天皇
武運の神
日本の第14代天皇であり、武道の神様として崇められています。
開運、厄除けの神
困難を乗り越え、幸運を招く力があるとされています。
国家安泰の神
国家の安泰と国民の幸福を祈る神様として、信仰されています。
娚杉町の八幡神社における御神徳
上記は一般的な御神徳ですが、神社によって、その土地の信仰や歴史、あるいは神様の個別的な特徴などによって、御神徳の表現は様々です。
娚杉町の八幡神社では、大山咋神と仲哀天皇の二神を祀っていることから、以下のような御神徳が期待できるかもしれません。
地域の発展、産業の繁栄
大山咋神の力によって、地域が発展し、産業が栄える。
武運長久、開運厄除
仲哀天皇の力によって、困難を乗り越え、目標を達成できる。
五穀豊穣
大山咋神として、農業の守護神としての側面も期待できるため、五穀豊穣を祈ることもできる。
国土安泰、家内安全
二柱の神様の力によって、国や家が平和で安定するように祈ることができる。
より詳しい御神徳を知るには
神社の由緒や歴史は宮司に直接お尋ねすることで、より詳しい御神徳を知ることができます。
神社には、その神社独自の御神徳や言い伝えがある場合もあります。
駐車場・アクセス
・駐車場はありません
・駒帰バス停から徒歩11分
・駒帰口バス停から徒歩12分
授与品・御朱印
藤棚白山神社にお問合せ