八幡神社(はちまんじんじゃ:南塚町)

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概要・由来

当社の創立年代は不詳なるも附近に加賀権掾大神高名の墳墓といわれる琵琶塚もあって往古よりの鎮座という。文安年間さらに社殿を建てて産土神とした。明治4年村社に列格。もと八幡社の所明治14年現社名に改称。明治40年無格社白山神社を合祀、昭和13年神饌幣帛料供進神社に指定された。

この八幡神社は、いつ創建されたのか正確な年代は分かっていません。
しかし、神社の近くには「琵琶塚:びわ塚」(金沢市指定文化財)と呼ばれる古墳があり、これは加賀権掾大神高名(かがのごんのじょうおおみわこうみょう)という人物の墓だと伝えられています。
このことから、神社は非常に古い時代からこの地に鎮座していたと考えられます。

室町時代の文安年間(1444年~1449年)には、さらに社殿が建てられ、地域を守る神様、つまり「産土神(うぶすながみ)」として祀られるようになりました。
「産土神」とは、生まれた土地の守り神のことで、地域住民にとって非常に大切な存在です。

明治時代に入り、明治4年(1871年)には「村社(そんしゃ)」に列格されました。
「村社」とは、当時の社格制度における位の一つで、村の鎮守として村から社殿の維持管理などが行われる神社を指します。

もともとは「八幡社(はちまんしゃ)」という名前でしたが、明治14年(1881年)に現在の社名に改称されました。

明治40年(1907年)には、無格社(むかくしゃ)であった白山神社(はくさんじんじゃ)が合祀されました。
「無格社」とは、社格制度において村社よりも下の位、もしくは社格を持たない神社を指します。

昭和13年(1938年)には、「神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)」に指定されました。
これは、国からお供え物(神饌)や幣帛(神に捧げる品物)が供進される神社であることを意味します。
これは、神社が地域にとって重要な存在であると認められたことを示しています。

鎮座地

金沢市南塚町203

電話

076-268-9413 (佐奇神社)

拝観料金

無料

御祭神

大雀命
比咩神
菅原大神
外白山三神(白山比咩大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊)

行事

見どころ

田畑の中にあり、落ち着いた雰囲気の良い神社です。
盤持ち石(力石)が2個あり、狛犬もいます。

神徳(御利益)

各祭神と神徳

大雀命(おおさざきのみこと):
大雀命は、第16代天皇である仁徳天皇(にんとくてんのう)の別名です。
仁徳天皇は、民を大切にし、特に治水事業や産業振興に尽力したことで知られています。
そのため、大雀命を祀る神社では、以下のような神徳があるとされています。

国土安寧(こくどあんねい): 国が平和で安定すること。
五穀豊穣(ごこくほうじょう): 農作物が豊かに実ること。
産業繁栄(さんぎょうはんえい): 商工業が発展すること。
殖産興業(しょくさんこうぎょう): 産業を育成し、事業を起こすこと。
民の幸福: 人々が幸せに暮らすこと。

比咩神(ひめのかみ):
比咩神は、一般的には菊理媛神(くくりひめのかみ)と同一視されることが多い女神です。
菊理媛神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)という夫婦神の仲を取り持った神様として『日本書紀』に記されています。
そのため、比咩神を祀る神社では、以下のような神徳があるとされています。

縁結び: 男女の縁を結ぶこと。
夫婦円満: 夫婦仲が円満であること。
家内安全: 家族が安全に暮らすこと。
和合: 周囲との調和、人間関係の円滑。

菅原大神(すがわらのおおかみ):
菅原大神は、学問の神様として有名な菅原道真公(すがわらのみちざねこう)をお祀りしています。
そのため、菅原大神を祀る神社では、以下のような神徳があるとされています。

学業成就(がくぎょうじょうじゅ): 学問が上達し、目標を達成すること。
試験合格: 試験に合格すること。
学問向上: 学問の道がさらに発展すること。
智慧授与(ちえじゅよ): 知恵を授かること。

外白山三神(そと はくさんさんじん):
白山三神は、
白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ、菊理媛神と同一視される)、
伊弉諾尊(イザナギノミコト)、
伊弉冉尊(イザナミノミコト)の三柱の神様です。
白山は霊山として古くから信仰を集めており、これらの神々を祀る神社では、以下のような神徳があるとされています。

水の恵み: 農業に必要な水や、生活用水などの恵み。
山の恵み: 山林資源や、山の安全。
自然の守護: 自然災害からの守護。
延命長寿(えんめいちょうじゅ): 長生きすること。
開運招福: 運を開き、幸福を招くこと。

南塚町の神社の神徳

これらの祭神を総合的に考えると、南塚町の神社では、以下のような幅広い神徳が期待できると言えるでしょう。

地域住民の生活全般の守護:
仁徳天皇による民の幸福、比咩神による家内安全、白山三神による自然の守護など、地域住民の生活全般を守護する力。

農業・産業の発展:
仁徳天皇による五穀豊穣・産業繁栄、白山三神による水の恵みなど、地域の基盤となる農業や産業の発展を助ける力。

学業成就・智慧授与:
菅原大神による学業成就・智慧授与。

縁結び・夫婦円満:
比咩神による縁結び・夫婦円満。

このように、複数の神様が祀られている神社では、様々なご利益が期待できます。
それぞれの神様の神徳を理解することで、より深く神社を信仰し、恩恵を受けることができるでしょう。

駐車場・アクセス

・駐車場はありません
・神野町バス停から徒歩3分
・二塚バス停から徒歩4分

授与品・御朱印

佐奇神社にお問合せ

ウェブサイト

石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0051/

補足(びわ塚古墳について)

金沢市南塚町の神社のそばにある「びわ塚古墳」について解説いたします。

びわ塚古墳の概要

びわ塚古墳は、金沢市南塚町に位置する古墳時代(4世紀末から5世紀頃)に築造された円墳です。
墳丘の規模は、南北約20メートル、東西約16メートル、高さは約1.5メートルとされています。
その形が琵琶に似ていることから「びわ塚」と呼ばれるようになったと言われています。

特徴

  • 円墳: 古墳の形状は円形で、古墳時代前期から中期にかけて多く見られる形式です。
  • 規模: 北加賀の平野部に現存する古墳としては、近くにある「おまる塚古墳」や「才田御亭山古墳」と並び、比較的規模の大きな古墳の一つです。このことから、当時のこの地域における有力者の墓であったと考えられています。
  • 周溝: 発掘調査により、墳丘の周囲には周溝(しゅうこう)と呼ばれる溝が巡らされていたことが確認されています。周溝は、古墳の区画を示すとともに、祭祀の場としても用いられたと考えられています。
  • 立地: びわ塚古墳は、金沢平野と呼ばれる平坦な場所に位置しています。古墳時代、この地域では水田稲作が盛んに行われており、びわ塚古墳の被葬者も、この地域の農業生産を統括するような立場にあった人物かもしれません。
  • 保存状態: 墳丘は比較的良好な状態で残っており、金沢市の史跡に指定されています。古墳上には木々が植えられ、特にクロマツは保存樹に指定されています。

歴史的意義

びわ塚古墳は、北加賀における古墳時代の様相を知る上で貴重な資料です。
特に、おまる塚古墳と近接していることから、これらの古墳群が当時の地域社会においてどのような役割を果たしていたのかを考える上で重要な手がかりとなります。
また、江戸時代からその存在が知られていたことからも、古くから地域の人々にとって関心の対象であったことが伺えます。

周辺情報

  • おまる塚古墳: びわ塚古墳の近くには、同じく円墳である「おまる塚古墳」があります。こちらも金沢市の史跡に指定されており、びわ塚古墳と合わせて見学することで、当時の様子をより深く理解することができます。
  • 南塚町緑地: びわ塚古墳周辺は緑地として整備されており、散策を楽しむことができます。

神社の由緒との関連

神社の由緒には「附近に加賀権掾大神高名の墳墓といわれる琵琶塚もあって往古よりの鎮座という」とあります。
これは、神社が非常に古い時代からこの地に存在し、びわ塚古墳との関連を示唆していると考えられます。

ただし、古墳の築造時期と神社の創建時期には隔たりがあるため、直接的な関係を示すものではありません。
古墳が古くからこの地の象徴的な存在であり、神社がその近くに建立されたことで、何らかの信仰的な繋がりが生まれた可能性はあります。

まとめ

びわ塚古墳は、金沢の古代史を今に伝える貴重な文化遺産です。
神社の参拝と合わせて、古墳にも足を運んでみることで、この地の歴史をより深く感じることができるでしょう。

もし、この古墳に関するさらに詳しい情報(例えば、発掘調査の出土品など)を知りたい場合は、金沢市文化財保護課などに問い合わせてみることをお勧めします。

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