須岐神社(すきじんじゃ)

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【須岐神社の概要】
須岐神社は延喜式内社に数えられる歴史ある神社です。
鹿島神宮・香取神宮・枚岡神社・比売大神の四柱を祀っています。元正天皇の時代に浅野川河口付近に創建されたと伝わりますが、その後洪水や戦乱などで何度も移転や合併を経て現在の場所に落ち着きました。境内には逆立ち狛犬などが見られます。御朱印もあります。

【須岐神社の歴史】
須岐神社は、元正天皇の霊亀2年(716年)に浅野川河口付近で右岸側の地に創建されたと伝えられています。当時は鹿島坐健御賀豆智命(鹿島神宮)と香取坐伊波比主命(香取神宮)の二柱を祀っていました。その後、聖武天皇の天平元年(729年)には、北方からの侵略者に対抗するために八幡大神を勧請して赤浜八幡神社を境内に建てました。さらに、平安時代初期には枚岡坐天児屋根命(枚岡神社)と比売大神を合祀して四柱の祭神となりました。

鎌倉時代には、幕府から赤浜八幡神社に対して社領が寄進され、豪族の高木氏(高桑)五郎が崇拝者となりました。このことで赤浜八幡神社が隆盛し、須岐神社は衰退しました。室町時代には、一向一揆が発生し、須岐神社の歴代神主は長江姓で19代続きました。この間、須岐神社・赤浜八幡神社両社の神主として京都の吉田家から裁許状を受けていましたが、呼称は赤浜神主となっていました。

江戸時代に入ると、元和3年(1617年)に大洪水が発生し、境内地が水没しました。このため、加賀藩から南へ約1.5キロメートル離れた現在地に移転することを許可されました。しかし、移転後も度重なる洪水被害や社殿修復費用などで苦労しました。また、遥拝所を拝殿とし、本殿は浅野川右岸の畔に建てるという特殊な様式となりました。

明治時代になり、政府が神社をランク付けした際に、当時の神主長江(齋藤)廣居が須岐神社の由緒正しく、且つ、延喜式内神社であることから、須岐神社の呼称でと唱え、両社を合併しました。その後、後継者が絶えたので、親戚一同協議の上で現宮司本嶋家に委ねられました。現在は、2016年に御鎮座1300年を迎えるなど、歴史を重んじる神社として地元の信仰を集めています。

【鎮座地】
石川県金沢市東蚊爪町ホ100番地1

【電話】
076-238-2068

【拝観料金】
無料

【祭神】
鹿島坐健御賀豆智命(たけみかづちのみこと)
香取坐伊波比主命(いわしひこのみこと)
枚岡坐天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売大神(ひめおおかみ)

【行事】
水無月の大祓、左義長など

【見どころ】
逆立ち狛犬、赤い瓦屋根の拝殿

【神徳(御利益)】
不明

【駐車場・アクセス】
北陸鉄道浅野川線 蚊爪駅から徒歩8分

【授与品・御朱印】
御朱印あり

ウェブサイト
https://ameblo.jp/suki-jinja1300nen/

 

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