菅原神社(すがわらじんじゃ:梅田町)

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概要・由来

菅原神社は、護国山波自加彌神社正八幡宮末社として、天神社を分祀して建てられました。
神送神迎は梅田だけで、9月25日に去り、10月25日に帰ります。
明治6年に村社に指定され、大正15年に神饌幣帛料供進神社に、本殿は大正15年、拝殿は昭和36年に新築されました。

鎮座地

〒920-3111
石川県金沢市梅田町チ62

電話

波自加彌神社 宮司
TEL: 076-258-0346(波自加彌神社

御祭神

菅原道真(スガワラノミチザネ)

行事

神送神迎は特別な日に行われます。
春季大祭

見どころ

梅田町は謡曲(能の曲)「鉢木(はちのき)」にがあり、加賀国「梅田の里」と伝えられ、神社の石段左には、した「梅田の里(金沢市観光協会建立)」の碑と、「鉢ノ木」の由来碑があります。
梅田町は菅原道真公ゆかりの天満宮です。

鉢の木物語のエピソード

加賀の梅田にある菅原神社は、北条時頼の廻国伝説で知られています。
この伝説は、謡曲「鉢の木」にも取り入れられています。

– ある大雪の夜、上野国佐野荘のあばら家に一人の旅僧が宿を求めて訪れました。
– 家にいた婦人は、主人が留守だったため断りましたが、帰ってきた主人がその話を聞くと、旅僧を追いかけ呼び戻しました。
– 主人は、いろりの薪がなくなると秘蔵の鉢植の梅・松・桜を囲炉裏にくべてもてなしたそうです。
– 旅僧が主人の素性をたずねると、もとは佐野荘の領主だった佐野源左衛門尉常世と名乗ります。
– 常世は、「一族に土地を奪われ、今はこのように落ちぶれているが、「いざ鎌倉!」というときには、一番に鎌倉に馳せ参じ忠勤を励む所存である」と語りました。
– 翌朝、旅僧は主人に礼を述べて家を辞しました。
– その後、鎌倉からの動員令が諸国の武士に下され、常世もその噂を耳にし、破れた具足をつけ、錆びた長刀を持ち、やせ馬にまたがって「いざ鎌倉!」と馳せ参じました。
– 幕府の役人から呼び出され、みっともない格好を叱責されるのかと思いながら、おそるおそる前に進み顔をあげると、そこにはあの大雪の夜の旅僧の顔がありました。
– その旅僧こそ、前の執権北条時頼でした。
– 時頼は一宿一飯の恩義を受けた礼を述べ、あの夜の話のとおりに馳せ参じたことをほめたたえ、佐野荘の安堵を約束しました。
– その上、常世が時頼のために薪として使った「鉢の木」にちなんで、上野国松井田荘、越中国桜井荘、加賀国梅田荘を常世に与えたのだといわれています。

この伝説は、時頼の歩みと人々への思いやりを物語っており、菅原神社はその歴史的な背景と信仰の一部を保っています。

神徳(御利益)

菅原道真を祀る神社として、学業成就や厄除けなどの御利益があるとされています。

駐車場・アクセス

最寄駅: 森本駅から徒歩約25分
最寄バス停: 観法寺バス停から徒歩約8分

授与品・御朱印

波自加彌神社にお問い合わせ

ウェブサイト

石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0140/

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