八幡神社(はちまんじんじゃ:国見町)

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概要・由来

当社は養老2年の勧請と云う。されどその文献なし。この地は富樫の荘に属し、松任城主鏑木左衛門(国見七郎)なる人物が当社を崇拝し、社殿を造営したといい伝えられる。明治5年11月村社に列格。

国見八幡神社の創建は、今から1200年以上前の養老2年と伝えられています。
残念ながら、その頃の記録となる文献は現存していませんが、この地が富樫の荘に属していた時代、松任城主の鏑木左衛門という武将が当社を深く信仰し、現在の社殿を建てたと伝えられています。

その後、明治時代になり、村社として明治5年11月に正式に認められました。
古くからこの地に根ざし、人々の暮らしを見守ってきた八幡様は、長い年月の中で様々な歴史を刻んできたことでしょう。

八幡神社の社叢は天然記念物として金沢市指定文化財に指定されています。(以下で解説)

鎮座地

金沢市国見町ロ127

電話

076-241-5980 (闕野神社)

拝観料金

無料

御祭神

応神天皇

行事

見どころ

八幡神社の社叢は天然記念物として金沢市指定文化財に指定されています。

「国見町八幡神社社叢」について

社叢(しゃそう)とは?

神社の社叢とは、神社の境内や周辺に生育している木々や植物の集まりのことを指します。単なる緑地ではなく、長い年月をかけて形成された自然と文化が一体となった貴重なものです。

なぜ金沢市指定文化財に?

国見町八幡神社の社叢が金沢市指定文化財に指定されたのは、以下の理由が考えられます。

イタヤカエデを中心とした貴重な植生

社叢には、イタヤカエデをはじめとする様々な樹木が群生しており、特にイタヤカエデは県内でも最大級のものが存在します。このようなイタヤカエデを中心とした社叢は珍しく、学術的な価値が高いと評価されています。

集落の人々による長年の管理

社叢は、単に自然にできたものではなく、集落の人々が代々大切に守り育ててきた結果、形成されたものです。人々の暮らしと深く結びついた歴史的な背景も、文化財としての価値を高めています。

まとめ

国見町八幡神社の社叢は、単なる緑地ではなく、長い年月をかけて形成された自然と文化が一体となった貴重なものです。
金沢市の自然環境の多様性を示す上で重要な役割を果たしており、今後も大切に保護していく必要があります。

さらに詳しく知りたい方へ

金沢市の文化財に関する情報は以下のページでご覧いただけます。
国見町八幡神社社叢https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/1/siteibunkazai/5/5822.html

神徳(御利益)

応神天皇は、八幡神としても知られ、日本でもっとも有名な神様の一人です。武運、教育、縁結びなど、様々なご利益があるとされています。

応神天皇の御神徳

武運
弓術の達人であったことから、武運の神として崇敬されています。特に、武士の間では信仰が厚く、戦の勝利や出世を祈願する神様として祀られてきました。

教育
学問の神としても信仰されています。特に、弓術だけでなく、文武両道に優れた人物であったことから、受験や学業成就を祈願する人も多くいます。

縁結び
縁結びの神様としても知られています。特に、良縁に恵まれたい人や、夫婦の仲を円満にしたい人などから信仰されています。

その他
そのほかにも、厄除け、交通安全、安産など、様々なご利益があるとされています。

駐車場・アクセス

・駐車場はありません
・駒帰バス停から徒歩31分

授与品・御朱印

闕野神社にお問合せ

ウェブサイト

石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0041/

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