概要・由来
本社は創祀年代は不詳であるが、豪族奥野五兵衛が月浦館を築城中創祀したといわれ、古来より武神として附近民一般より崇敬を集め、明治6年8月村社に列格した。
月浦の八幡神社は、いつ頃創建されたのかはっきりとした年代は分かっていません。
しかし、この地域を治めていた豪族の奥野五兵衛という人物が、月浦館というお城(または砦のようなもの)を築いている最中に、この神社を創建したと伝えられています。
昔から、武の神様として、近くに住む人々から広く信仰を集めていました。
明治時代になると、明治6年(1873年)8月に、村の神社として正式に認められ、村社という格式になりました。
延喜10年(910年) 当地域一万五千石の城主井上金右エ門の発願により建立。神社歴は、一千百年である
正徳3年:御本殿を建立
宝暦7年:山崩れ災害で破損
享和3年:御神体再調する
明治4年:神社再建
明治6年:村社に裂格
明治45年:神社銅板葺鳥居、社標を御造営
大正14年:幣殿御造営
昭和7年:社務所兼集会所造営
昭和20年:山崩れにより破損
昭和24年:神社再建
昭和39年:山崩れで被災し、同年9月23日御神体の一部、地中より見つかる
昭和40年:御神体再調
昭和41年:社地転新築御造営
平成6年:東部環状道路建設により遷座、御造営
鎮座地
金沢市月浦町カ41-3
電話
076-263-9437 (上野八幡神社)
拝観料金
無料
御祭神
応神天皇
行事
例祭(四大祭)
新年祭:1月
春祭り:4月15日
秋祭り:9月15日
新嘗祭:11月23日
見どころ
月浦の八幡神社は、立派な石段と重厚な拝殿が印象的な、歴史を感じさせる神社です。
鳥居から続く参道の階段はやや急ですが、左手に迂回路があり、車でも境内まで上がることができますので、足腰に不安のある方でも安心して参拝できます。
社殿の前に立つと、開けた眺望が広がり、眼下には山環森本インターと国道159号線が一望できます。
この見晴らしの良さも、当神社の大きな魅力の一つと言えるでしょう。
実はこの神社、金沢外環状道山側幹線の建設に伴い、以前の社地が道路用地となったため、平成6年に現在の高台へと移転遷座されたという歴史を持っています。
そのため、比較的新しい社殿ながらも、古くから地域の人々に大切にされてきた歴史と、新しい場所から見渡す現代の風景が融合した、特別な場所と言えるでしょう。
神徳(御利益)
応神天皇は、第15代天皇であり、武運長久の神様として広く信仰されています。
特に武家からの崇敬が篤く、「八幡様」として親しまれているのは、この応神天皇をお祀りしているためです。
具体的な御神徳としては、以下のようなものが挙げられます。
武運長久(ぶうんちょうきゅう):
戦の勝利、武道の成就、勝運のご利益があります。武士だけでなく、スポーツや勝負事、目標達成を願う人々からも信仰を集めています。
殖産興業(しょくさんこうぎょう):
産業の発展、事業の成功、商売繁盛のご利益があります。農業、漁業、商業など、様々な産業の発展を祈願する人々から信仰されています。
国家鎮護(こっかちんご):
国の平和と安全を守るご利益があります。国家安泰、災害からの守護などを祈願する人々から信仰されています。
子育て・安産:
応神天皇の母である神功皇后(じんぐうこうごう)と合わせて祀られることが多く、子育てや安産のご利益もあります。
月浦の八幡神社では、応神天皇が武神としてお祀りされていることから、特に武運長久のご利益を求めて参拝する方が多いかもしれません。
また、地域を守る神様としても信仰されていることと思われます。
応神天皇を祀る神社は全国にたくさんありますが、それぞれの地域で様々な形で信仰されています。
月浦の八幡神社では、地元の歴史や文化と深く結びついた形で、応神天皇が大切にされてきたことでしょう。
駐車場・アクセス
・駐車場はありません
・IRいしかわ鉄道線 森本駅から徒歩18分
・医王病院前バス停から徒歩5分
・堅田町バス停から徒歩7分
授与品・御朱印
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