概要・由来
・齋地神社は、古来から窪村の産土神として崇敬されてきた神社。
・もとは八幡社と称していましたが、明治17年に現在の社名に改称。
・地頭伏見家や因幡家一族の信仰が篤く、社殿の造営なども行われた。
・明治39年12月、神饌幣帛料供進神社に指定された。
当社は、石川郡窪村の産土神として、古くは伏見川のほとりにあったと伝えられています。
その後、戦乱や火災により何度も荒廃しましたが、伏見氏や因幡氏などの武家の庇護を受けて再興されました。
享禄四年(1530)には、加賀衆が窪市に陣を張りました。
窪市とは、窪村の人々が尾張町久保市乙剣宮(旧称乙姫神社)の近くで開いた市場のことです。
因幡一族や村民は、当社の神威に敬意を払い、神恩に報いるために、社殿や境内を美しく整えました。
しかし、天文五年(1536)には、戦国の乱に巻き込まれて、社宝や村が焼けてしまいました。
その後も、村民は神事を続けましたが、神のお告げに従って、満願寺山辺の齊という場所に移りました。
天正年間には、観蔵院空峰法師が前田利家公に随行して加賀に下り、当社の別当となりました。
しかし、窪市はかつての繁栄を失い、宮田・寺田・御坊田などの地名だけが残りました。
明治三十九年には、神饌幣料供進神社になり、窪公民館の近くにあったもう一社と合祀されました。
窪村出身の宮大工・田鶴万助氏が棟梁となって、新しい社殿を建てました。
昭和五十三年には、社殿の大規模な改修が行われ、屋根は銅板で覆われました。
また、記念館や手洗い場などが新設されました。遷宮祭と秋祭りが盛大に執り行われました。
鎮座地
金沢市窪3丁目473
電話
080-3740-1536
拝観料金
無料
御祭神
保牟多和気神(ほむたわけのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
行事
元旦祭
例祭
節分祭
春季大祓
秋季大祓
見どころ
レンガ造りの台座の上に載っている狛犬は珍しい。
現在の窪会館の所に在った二社を合祀して、80年程前に窪村の住人で田鶴万助という宮大工が棟梁として社殿を建立。
現在の社務所はその面影を残しています。
神徳(御利益)
商売繁盛、家内安全、厄除け、交通安全、学業成就など
駐車場・アクセス
駐車場はないが少しだけ駐車スペースがある
バス:北陸鉄道石川線窪駅から徒歩約10分
車:北陸自動車道金沢西ICから車で約15分
授与品・御朱印
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ウェブサイト
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0018/
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