須天八幡神社(すあまはちまんじんじゃ)

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概要・由来

当社の創建は不詳なるも延暦年間(782一806) の勧請と伝えられる
明治四年社号書上帳によると もとは八幡宮と称したが 明治13年3月に須天八幡神社と改称した
明治39年12月29日に神饌幣帛料供進神社に指定され 旧社格は村社であった
明治42年に社名改称 30年祭を斎行する
社地に不動明王を祀る境内社があり 当社は菅原大神も祀りて 往古より産土神とし氏子の崇敬をあつめ 神徳いや高く現在に至る
茲に 当社の由緒を石碑に刻して以て後世に永く伝えるものである
平成五年三月吉日 宮司 鏑木悠紀夫撰文
(境内由緒)

鎮座地は金沢市に編入以前は石川郡二塚村字野であったが編入以後神野町と改称された。創建は延暦年中と云われるが確証はない。もと八幡神社といったが、明治13年2月今の社号に改称した。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定された。
(神社庁由緒)

創建と初期の様子:古代からの信仰

須天八幡神社の創建は、両資料で共通して延暦年間(782年~806年)と伝えられています。
これは平安時代の初期にあたり、この頃にこの地に八幡信仰がもたらされたことを示唆しています。
ただし、神社庁の記録には「確証はない」と明記されており、あくまで伝承に基づいていることを強調しています。
これは、創建当時の具体的な記録が残っていないためです。
もともとは「八幡宮」という社名であったことも共通しており、八幡神(応神天皇)を祀る神社として始まったことが分かります。

中世・近世の様子:地域の守護神として

創建から明治時代までの間の詳しい記録は多くありませんが、境内に不動明王を祀る境内社があることから、神仏習合の影響を受けていたことが分かります。
不動明王は仏教の神様であり、神道と仏教が融合した形で信仰されていた時代があったことを示しています。
また、菅原大神(菅原道真公)も祀られていることから、学問の神としての信仰も地域に根付いていたことが伺えます。
これらのことから、須天八幡神社は地域の産土神(その土地の守り神)として、人々の生活と密接に関わってきたと考えられます。

明治時代の変化:近代社格制度と社名変更

明治時代に入り、神仏分離令などの政策により、神社は国家の管理下に置かれるようになりました。
この中で、須天八幡神社も大きな変化を迎えます。

明治4年の社号書上帳によると、もともと「八幡宮」と称していましたが、明治13年3月に「須天八幡神社」と改称されました。神社庁の記録では明治13年2月となっていますが、ほぼ同時期の出来事です。
この改称の理由は明確には記されていませんが、明治政府による神社整理政策や、地域における神社の位置づけの変化などが背景にあったと考えられます。
「須天」という名称が加えられた理由は不明ですが、近隣の地名や神社の特徴に由来する可能性があります。

明治39年12月29日には、神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定されました。
これは、国から神饌(神様へのお供え物)と幣帛(神様に捧げる品物)の料(費用)が供進される神社であることを意味し、ある程度以上の格式を持つ神社であることを示しています。
この指定により、神社は国家の制度に組み込まれ、一定の保護を受けることとなりました。
旧社格は村社でした。
村社は、近代社格制度において村落の共同体によって維持される神社と位置づけられていました。
明治43年には社名改称三十年祭が斎行されています。
これは、社名変更から30年を記念するお祭りが行われたことを示しています。
このことから、地域の人々にとって社名変更は重要な出来事であったことが伺えます。

近年の様子:由緒の継承

平成5年3月には、当時の宮司である鏑木悠紀夫氏によって境内の由緒書きが作成され、石碑に刻まれました。
これは、神社の歴史と由緒を後世に伝えるための重要な取り組みです。
これにより、創建からの歴史、明治時代の変化、地域における役割などが明確に記録され、後世に伝えられることとなりました。

まとめ:地域に根付く信仰の歴史

須天八幡神社は、延暦年間に創建されたと伝えられる古い神社で、当初は八幡宮と呼ばれていました。
古代から地域の産土神として信仰を集め、神仏習合の時代を経て、明治時代に須天八幡神社と改称され、近代社格制度の中で位置づけが明確化されました。
神饌幣帛料供進神社に指定されるなど、近代の神社制度の中で重要な役割を担いました。
境内には不動明王や菅原大神も祀られており、地域の人々の信仰の中心として歴史を重ねてきたことが分かります。
平成には由緒書きが作成され、その歴史を後世に伝える取り組みが行われています。
石碑と神社庁の記録、そして境内の様子を合わせて見ることで、須天八幡神社の歴史と地域における役割をより深く理解することができます。
このように、須天八幡神社は古代から現代に至るまで、地域の信仰の中心として重要な役割を果たし続けているのです。

鎮座地

金沢市神野2丁目47番地

電話

076-268-9413 (佐奇神社)

拝観料金

無料

御祭神

応神天皇

行事

3月15日
祈年祭 春季祭
例祭(旧4月2日)

10月15日
秋季祭

11月23日
新穀感謝祭

見どころ

境内には日露戦争関係の碑があり、桜の木もあります。

須天八幡神社の近くにはびわ塚古墳・おまる塚古墳という古墳もあります。
この辺りは近年になって金沢市に編入された地区です。

神徳(御利益)

応神天皇(誉田別命:ほんだわけのみこと)の神徳

応神天皇は、第15代天皇で、八幡神として広く信仰されています。
その神徳は多岐に渡りますが、主に以下の点が挙げられます。

武運長久(ぶうんちょうきゅう):
応神天皇は、武勇に優れた神として知られ、武士からの信仰を集めてきました。そのため、戦勝祈願、武道成就、身体健全、交通安全など、武に関するご利益があるとされています。

殖産興業(しょくさんこうぎょう):
応神天皇は、農業や産業の発展にも貢献したと伝えられており、五穀豊穣、商売繁盛、事業繁栄などのご利益があるとされています。

子育て・安産(こそだて・あんざん):
応神天皇の母である神功皇后(じんぐうこうごう)が、応神天皇を身ごもったまま戦に出陣し、無事出産したという伝説から、安産や子育てのご利益があるとされています。

国家鎮護(こっかちんご):
八幡神は、国家を守護する神としても信仰されており、国家安泰、平和祈願などのご利益があるとされています。

須天八幡神社の神徳

須天八幡神社は、応神天皇を主祭神として祀っているため、上記の神徳が基本となります。
特に、以下のようなご利益を求めて参拝する人が多いと考えられます。

家内安全 : 家族の安全と健康を祈願する。
厄除開運(やくよけかいうん): 厄除けや開運を祈願する。
交通安全 : 旅行や移動の安全を祈願する。
武道成就(ぶどうじょうじゅ): 武道の技能向上や試合での勝利を祈願する。
商売繁盛 : 事業の成功や商売の繁盛を祈願する。

境内社との関連

須天八幡神社の境内には、不動明王と菅原大神も祀られていました。

不動明王:
厄除け、災難除け、立身出世などのご利益があるとされています。

菅原大神:
学業成就、合格祈願、学問向上などのご利益があるとされています。

これらの境内社と合わせて参拝することで、より幅広いご利益を得られると考える人もいるでしょう。

神社の神徳は、人々の信仰によって育まれてきたものであり、時代や地域によって解釈が異なる場合があります。
須天八幡神社に参拝する際には、上記の情報を参考にしつつ、自身の願いを込めて祈願することが大切です。

駐車場・アクセス

・駐車場は神社横の会館に1,2台ほど停められるようです。

・神野町バス停から徒歩2分
・二塚バス停から徒歩6分
・JA二塚支店前バス停から徒歩8分

授与品・御朱印

佐奇神社にお問合せ

ウェブサイト

石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0050/

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