薬師寺(やくしじ)

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歴史・概要

薬師寺は、平安時代の初期に泰澄大師が開いたと伝えられる高野山真言宗の寺院。
泰澄大師は、湯涌温泉の源泉を発見し、その湯で薬師如来像を造ったと言われています。
湯涌温泉の地名は、この薬師寺に由来しています。

明治時代には、竹久夢二が湯涌温泉に滞在し、薬師寺を散策したことがあります。
夢二の歌碑や夢二が描いた薬師寺の絵は、境内に残っています。
金運のパワースポットとして知られています。

所在地

石川県金沢市湯涌町イ-138

電話

076-235-1040(湯涌温泉観光協会)

拝観料金

無料

拝観時間

境内自由

宗派/山号・寺号

高野山真言宗/医王山/薬師寺

本尊・寺宝

本尊は、泰澄大師作と伝わる薬師如来像です。
寺宝には、夢二が描いた薬師寺の絵や夢二の歌碑があります。

御朱印

行事

例年、4月8日には薬師如来の降誕会(花まつり)が行われます。

見どころ

薬師寺の見どころは、泰澄大師が発見したという湯涌温泉の源泉臼や、夢二が描いた薬師寺の絵、夢二の歌碑など。
境内には、四季折々の花や紅葉が楽しめます。
近くには「湯涌稲荷神社」があります。

源泉臼の原文解説

源泉臼
養老二年(七一八年)元正天皇の御代、この山里に一羽の驚舞い下り、地に身を伏て俄かに動く気配なし。
里人不審に思い近寄り見れば、初めて湯の湧き出であるを知りぬ。
直ちに井を掘り、試みしに高温多量の薬湯、枠となしたる石臼を溢れ通り、煮夜をわかたぬ霊泉のありさまに、人々覚しての名を湯涌と名付けけり。
こののち加賀の国の太守三代
前田利常公 六代前田吉徳公、何れもこの石臼より酌みし霊湯を飲浴し拾い、
重き御患いも本願ましましぬとか。即ち後年ゆかりの石臼を、ここ薬師寺境内に安置しその由来を書きとどむ。


この文章を以下に解説します。
【文中の要点】

1. 時代と場所の背景
文章は「養老二年(七一八年)」、つまり元正天皇の御代の出来事を描いています。
場所は山里で、驚くべき現象が起こります。

2. 湯涌の発見
山里に一羽の鳥が飛来し、地に身を伏せて動かない光景がありました。
村の人々は不審に思い近づくと、その場所が温泉であることを初めて知りました。
村人たちはすぐに井戸を掘り、高温でたくさんの湯が湧き出る様子を確認しました。

3. 湯涌の成り立ち
石臼を使って湯を汲み上げ、その湯を試しにかけられた石臼の周りに溢れさせ、煮夜(湯夜)を楽しむことができる霊泉ができました。
この霊泉に感動した人々が、湯涌と名付けました。

4. 加賀の国の太守と湯涌
その後、加賀の国の太守(統治者)たちである前田利常公と六代前田吉徳公が、湯涌の霊湯を飲んで入浴し、健康になったと言われています。

5. 湯涌温泉の由来の記録
その後、湯涌にゆかりのある石臼を薬師寺境内に安置し、その由来を記録に残しました。

【簡単な解説】

この文章は、湯涌温泉の発見と成り立ち、そして加賀の国の太守たちが湯涌の霊湯を利用した歴史を伝えています。湯涌は自然の驚異から生まれた温泉であり、加賀藩第3代藩主「前田利常」と、6代藩主「前田吉徳」は、この石臼から汲んだ霊湯を飲浴する事で重い病が癒え、認められ、後世に残る名所となったことが述べられています。

駐車場・アクセス

湯涌温泉バス停付近(湯涌入り口)に2か所、無料駐車場があります。
アクセスは、JR金沢駅から北陸鉄道湯涌温泉行きバスで50分、終点下車、徒歩5分です。

ウェブサイト

薬師寺のウェブサイトはありません。

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