養清寺(ようせいじ)

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歴史・概要

養清寺は歴史あるお寺です。
天台宗民盛派の一部として、養清寺は泉寺町にある西方寺の末寺でしたが、創設当初から特定の位階を持たず、数十年間にわたり尼(女性の僧)が住んでいました。
しかし、明治5年11月に政府からの布告により、特定の役割を持たない寺院は統合されることになりました。これに基づき、他の寺院とともに合併が進められ、養清寺は本寺の制度に従い再び設立されました。
また、再興が許可された際、元々居住していた尼が住職に任命され、新たに一寺として認められました。
この寺の土地は昔、刑法に関係する場所だったと言われており、その歴史を感じさせます。

平成7年11月26日 北國新聞記載内容は以下

金沢市泉三丁目で260年以上の歴史を刻んだ養清寺(天台真盛宗)がこのほど、建物の老朽化に伴い、郊外の同市辰巳町へ移転新築した。檀家の減少による収入のめどが立たず、旧市街地での建て直しが困難になったことから、新天地を求めたが、歴史的情緒を残す旧北国街道の泉地区にぽっかりと空いた寺跡に、地域住民から今更ながら移転を惜しむ声が上がっている。

養清寺は江戸中期の享保18年(1733年)、処刑場の跡地に供養のため、達善法師が達善庵を建立したのが始まりで、二代目住職の心蓮法師が文化3年(1806年)に養清寺に改めた。天保6年(1835年)からは尼寺として布教活動が行われてきた。

しかし、長年の風雪で寺院は床がきしみ、屋根がわらの損傷も年を追うごとに激しくなり、昨年10月には山門が取り壊された。第十五代の松平妙香住職は当初、現在地での建て直しも考えたが、檀家の減少や葬祭場の進出により葬儀もめっきり減り、収入増は見込めないことから、市街地の寺院跡地を売却し、郊外で再出発することにした。

移転を前に昨年暮れには、移転を知らせる張り紙を寺院前に掲示したものの、周辺住民のほとんどは事情を知らず、ひっそりとした移転となった。すでに辰巳町で新しい御堂がしゅん工し、年内の完成をめどに現在は参道などの整備が行われている。

●町端情緒にぽっかり穴

松平住職は「離れるのは寂しかったが、檀家ではない人に多額の寄進を求めるわけにもいかなかった」と苦しい胸の内を明かす。弥生校下に住み、石川県文化財保護審議会委員を務める小倉學さんは「養清寺は城下町金沢の町端の歴史的情緒を残し、地域住民に集会所などとして親しまれた思い出深い寺だ。移転したのは残念」と話している。
(北國新聞 平成7年11月26日 24面)

所在地

石川県金沢市辰巳町イ29-11

電話

拝観料金

無料

拝観時間

宗派/山号・寺号

天台真盛宗

本尊・寺宝

御朱印

不明

行事

見どころ

・一見寺院とは思えぬ佇まい
・入り口横には道に面して祠が立っており、金澤古蹟志に「是そのさき刑法場ありし頃の地蔵堂なりといひ伝へたりとぞ。」と記された地蔵堂
・延命地蔵と敷地の右手には泉の刑場にあったとされる四体の地蔵が並んでいる

駐車場・アクセス

詳細はお寺にお問い合わせください。
公共交通機関を利用する場合は、金沢駅からバスでアクセス可能です。最寄りバス停は「辰巳農協前」です。

ウェブサイト

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