藤棚白山神社(ふじたなしらやまじんじゃ)

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【概要・由来】

この神社は、冨樫氏春という人物が文和年中(1352年頃)に建立した白山神社が起源です。冨樫氏春は、南北朝時代に加賀国の守護大名として活躍した武将で、白山信仰の深い人物でした。この神社は、修験道の教学院を別当としており、山岳信仰と白山信仰が結びついたものでした。

寛永9年(1632年)には、教学院の末寺である成福寺が石川郡法島村に再興されました。この成福寺は、元禄2年(1689年)に現在の藤棚の地に移り、白山社と号しました。この地には、境内に古木の藤の棚があり、その美しさから藤棚と呼ばれるようになりました。明和・安永(1764~1780)頃には、俳人麦水がこの藤棚を詠んだ句があります。

明治2年(1869年)には、成福寺は神職となり、明治5年(1872年)に村社に列せられました。明治9年(1876年)には、今の社号である藤棚白山神社に改められました。

しかし、明治18年(1885年)に犀川の大洪水が起こり、社地の過半が流されてしまいました。このため、翌年に今の地に遷座しました。この地は、旧城南小学校の跡地です。

大正4年(1915年)には、神饌幣帛料供進神社に指定されました。これは、国から神事費用を支給される特別な神社のことです。

【神饌幣帛料供進神社とは】

明治時代から第二次世界大戦までの間に、国から神事の費用を支給された神社のこと。

神饌幣帛料供進神社は、郷社や村社を対象にしており、官社とは異なります。官社は、祈年祭や新嘗祭などの国家的な祭典に奉幣を受ける神社で、官幣社や国幣社に分けられます。

神饌幣帛料供進神社は、例祭などの地域的な祭典にも国から幣帛料を供進されました。幣帛料とは、金銭や布などの贈り物のことです。

神饌幣帛料供進神社は、明治5年(1872年)に制定された「官社以下定額・神官職制等規則」に基づいて指定されました。その後も昇格や追加が行われ、最終的には全国で約1万8000社が神饌幣帛料供進神社になりました。

しかし、昭和21年(1946年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発した「神道指令」によって、神社の国家管理が廃止されると同時に、神饌幣帛料供進神社も廃止されました。

【鎮座地】

石川県金沢市城南2丁目6番35号

【電話】

076-261-9007

【拝観料金】

無料

【祭神】

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

【行事】

例祭日は10月7日。

【見どころ】

拝殿前にある藤棚は、4月中旬から5月上旬にかけて見頃を迎えます。
俳人麦水の観藤の句碑もあります。

【神徳(御利益)】

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神としており、白山信仰の総本宮である白山比咩神社の分霊を勧請しています。

伊弉諾尊は、日本の国土や神々を生み出したとされる大神で、国家安泰や五穀豊穣、縁結びなどの広い神徳を持っています。

また、この神社は、修験道の教学院を別当としており、山岳信仰と白山信仰が結びついたものです。修験道は、自然の力を借りて身心を修める道で、厄除けや開運などの祈願に効果があるとされます。

さらに、この神社は、境内に古木の藤の棚があり、その美しさから藤棚と呼ばれるようになりました。藤は古来より縁起の良い花とされ、長寿や子孫繁栄、学問成就などの象徴とされます。

このように、藤棚白山神社は多くの神徳(御利益)を授けてくれる神社です。

境内のフジの実を入れた御守が授与されています。

【駐車場・アクセス】

駐車場はありません。
金沢駅からバスで約20分、城南一丁目バス停下車、徒歩約5分です。

【授与品・御朱印】

授与品はフジの実御守です。
御朱印はありません。

【ウェブサイト】

公式ウェブサイトはありませんが、石川県神社庁のページに紹介されています。
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0187/

Instagram:https://www.instagram.com/fujidanajinjya/

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