**概要・由来**
倶利伽羅神社は、木花開耶姫命、火結命、罔象女命、埴山比咩命、菊理比売命、伊弉諾命、誉田別命を祭神としています。
かつては小白社と称され、明治29年に小白神社と改称されました。その後、同40年には冨士社と河内社の二社を合併し、同42年に倶利伽羅神社と改称されました。
津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区にある倶利伽羅神社は、かつての宿場町である竹橋宿の名残を留めています。
この神社には、池田九華が描いた「源平倶利伽羅合戦図屏風」が保存されています。
この屏風は、右側には木曽義仲や願文を書いた覚明などが描かれ、中央には巴御前と思われる騎上の女武者に対して慌てる平家陣地が描かれています。一方、左側には「火牛の計」作戦で平家軍を倶利伽羅山の地獄谷に追い落とす源氏軍の様子や、源氏軍に加勢した井家庄の武士、井家二郎範方が根上の松で討ち死にした戦いの様子が鮮やかに描かれています。
この屏風は、津幡町英田地区の能瀬出身の絵師である**池田九華**が、長楽寺焼失から10年後に描いた作品とされています。署名には「嘉永元年仲秋 應需 九華」と記されています。また、九華の別の作品として、1866年に描いた屏風絵馬が能瀬区の山王神社に残っています。
倶利伽羅神社は、長楽寺別当職にあった十握氏が明治初頭に開いた神社です。
鳥居をくぐると長く延びた急勾配の階段があります。
倶利伽羅神社は、歴史と伝統を持つ神社で、訪れる人々に多くの神聖な体験をもたらしています。ぜひ一度足を運んでみてください。
**鎮座地**
河北郡津幡町竹橋オ34
**電話**
TEL: 076-288-1032
**祭神**
木花開耶姫命、火結命、罔象女命、埴山比咩命、菊理比売命、伊弉諾命、誉田別命
**神徳(御利益)**
倶利伽羅神社は、さまざまな御利益をもたらすとされていますが、具体的な内容は詳細にはわかっていません。
**駐車場・アクセス**
駐車場はありません。
バス停:竹橋バス停から徒歩約3分
**授与品・御朱印**
ー
**ウェブサイト**:
石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j1018/